なぜ日本ではハラスメント対策が定着しにくいのか?文化背景と西洋型リーダーシップの影響

森と水の文化が生んだ、“権利より寛容”の社会

政治家や市政のトップなど昭和生まれの人たちによる暴言や失言が連日ニュースで取り扱いされていると

「なぜ日本では、ハラスメント対策が浸透しづらいのだろう?」昭和世代の特徴??老害など

さまざまな考えが浮かびますよね。

法制度化され日本でもハラスメント対策が制度としては整ってきているのに、現場での定着が進んでいない。

その背景には、日本独自の文化的土壌と、西洋型の権利・リーダーシップの考え方とのズレが隠れています。

この記事では、ハラスメントが「権利」として受け止められにくい理由を、日本文化・自然環境・死生観との関係から読み解いていきます。

西洋化した職場と“強調されすぎたリーダーシップ”

1990年後半から、日本人の働き方は、より西洋化し成果主義や個の尊重、トップダウン型の組織運営が主流になり、それまでの年功序列式からの転換が進みました。
ヨーロッパなど(移民でアメリカ人になった人たち含む)の西洋式の働き方には、乾燥した土地で水や肥沃な土地などの資源争奪を前提とした「契約」「権利」そして「リーダーシップ」が不可欠だった(ないと飢えて死ぬ)歴史を乗り越え、肥沃な土地にしていった経験をもとに作り上げた背景があります。

一方、日本は「水と森に恵まれた文化」

日本やアジアは水・森・四季に恵まれ、命の循環を肌で感じる環境でした。

死んだ命が土となり、草木を育て、また命が生まれる… そこには「輪廻転生」の感覚が自然と根づき、その考えからみんなで協力し、協調することで力を発揮する働き方(生き方)をしていました。

「権利」で語ると、共感が遠のく日本の現場

日本社会では「権利」という言葉が、ときに冷たく、攻撃的に響くことがあります。

特にハラスメントの現場では、「誰が悪い」と線引きする構造が、“関係性の修復”を難しくする側面もあるのです。

リーダーシップとは、本来「力」より「徳」のものだった

日本では古来、村の長老などに象徴するように徳を備えた人が自然と人を導く「目立たないリーダー」が理想とされてきました。

ところが西洋型マネジメントの導入により、「権利=正しさ」「思考優位=感情邪魔」「知恵より知識」という誤解が生まれ、ハラスメントを助長する一因となっています。

これからの職場に必要なのは、「空気を読め」でも「権利を守れ」でもない

スマホとSNSの普及により私たちは”つながる”ことがあたりまえとなり、2011年以降に特にその流れは強まっています。しかし、国力の低下と競争社会によって、寛容さが失われ、分断・格差がリアルに情報として入ってくるようになり、辛さがましている人も増えています。いま必要なことは、競争でも同調でもなく、コミュニケーションの奥にある本音を聴く力が必要です。

強烈なリーダーシップを必要とせず、自然とともに生きてきた私たちだからこそ、「共に在る」知恵が、今こそ必要とされています。

終わりに:ハラスメントのない社会とは、「誰もが安心して関係を築ける社会」

法制度だけでは人の気持ちは変わりません。
私たちは言葉をつかいコミュニケーションをする人間という存在です。
水という環境に恵まれたことが、人の考えをつくり、文化と国をつくりました。その歴史的背景を対話の力を活かすことで、やさしくて強い関係性を築いていけます。
言葉にならない不安や違和感を、誰かと“話し合ってみる”ことからはじめませんか?
一般社団法人ノン・ハラスメント協会では、感性と関係性の再構築を通じて、安心して働ける職場づくりを支援しています。

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コメント

  1. こんにちは、これはコメントです。
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